• 画像
  • 画像
  • 画像
  • 画像

個人セッション(心理カウンセリング)案内

カウンセリング料金、カウンセリングルームへのアクセス、主な相談内容などのご案内です。自分に向きあう、自分だけの時間を持ってみませんか。

詳細はこちら

生きづらさを感じている

自信が持てなかったり、対人関係でギクシャクしていたり、頭の中でいつも混乱していたり、落ち込みが激しかったり。そうした中でも小さな改善につながる一歩に踏み出すお手伝いをします。

発達障害・セクシャルマイノリティ

二次障害で対人関係がうまく築けなかったり、自分のままでいいと思えなかったり。正直に自分の好きなことを言えなかったり。そんなしんどさを軽減できるようにサポートしていきます。

参加者やクライエントの声・体験談

「何かを伝えたくて」「お役に立てれば」という気持ちから感想を下さいました。自分に向きあって新たな一歩を歩み出された方の声です。

詳細はこちら



体験談のコーナー

ありがたいことに、参加者の方に体験談を書いていただきました。一部紹介させていただきます。もしよかったらご参考願います。※ご本人の許可を得て掲載しています。

亡くなった当事者のSさんとの対話

2014年12月26日 女性

亡くなったSさんと飼い犬のりーちゃんと対話していく中で、私は自分が思っている以上にSさんが亡くなって悲しかった事に気がつきはじめました。


Sさんに見立てた座布団をつかんだ右手が「行ってほしくないです。離したくないです……」と言う想いを言葉以上に語っていて、私はSさんにずっと心の中に浮かんでいた事を伝えました。
「私は、Sさんのおかげで『人を愛する気持ち』が分かりました。Sさんとりーちゃんといた時間は、キラキラとしてとても幸せでした。すてきな思い出をありがとうございました」


傍から見ると、もどかしいほど距離を取っていたらしいですが、Sさん「見守っているので忘れないでね」私「私はPDDだから忘れるわけないじゃないですか」と対話していくうちに、距離を縮める違和感よりも、想いの方があふれてきて、Sさんと飼い犬の繊細な白いりーちゃんを、胸の前で作った腕の輪の中に入れました。
抱きしめるとSさんは嫌がるだろうし、大切なものを壊したくないような、腕の空間の中でSさんとりーちゃんをずっと感じていたいような、そんな感じでした…。

でも、私はやがて手を離し、まぁさんに「もう十分です」と言いました。やりたい事は全てやってしまい、本当にもう十分だったのです。
「忘れることができないのなら、忘れなければいい……——。」


数日後のあたたかい日の午後、私は空気中にとても小さな流星が流れているのが、突然見えるようになりました。1ミリよりも小さな原子の衝突は網目状にどこまでも、どこまでも広がっていました。
(これはきっと、Sさんからの贈り物だ……)

8月22日の気づきのワークの体験談

2014年9月1日 女性

自分の体なのに、思うように怒りの感情が出せないので、参加者の方に、怒りの感情とそれを止める理性を演じていただきました。

自分の理性と感情の葛藤を眺めているうち、何も感じなかったり、惨めで悲しくなったりしましたが、何度も何度も同じことを繰り返す様子を眺めているうちに、漫才にしか見えなくなってきました。
真剣に葛藤している自分がおかしくてたまらなくなり、お腹の底から笑わずにはいられませんでした。

それはテレビを見て笑うというより、自分の人生の実体験から生まれる、おかしみのようなもの。小学生の頃、貧しかった農家で、日常の体験を生き生きと語る祖母とおお笑いした楽しい日々が、私の体の中の感覚として蘇りました。祖母の持っていた優しさや温もりが、仏壇のおリンの音のように゛くわーん゛とすぐ側で伝わってくるような…。それは、私にとって、どんなものとも引き替えにできない大切なもの。

それから、参加者の方と笑顔で繋がった時、人の気持ちの不思議さを感じました。怒りも悲しみも喜びも、目には見えないけれど、地球上の水が海や雨や雲に形を変えて循環するように回っている、そんな気がしました。

気付きのワークin京都に参加して

2012年10月23日 paix31415

10月21日開催の、「気付きのワークin京都」に参加させて頂きました。

確かにまぁ。さんから聞いていたように、深い、充実したワークでした。

レジュメも一応あるにはあるのですが、それは飽くまで極めて大雑把な目安に過ぎず、また、まぁ。さんを除けば4人という少人数のワークでもあるため、各メンバーの動きを見て、適宜、各ワークの内容や時間については柔軟に対応して組み立てていくのを目の当たりにして、これは筋書きのないドラマだ、と……お世辞ではなく、率直にそう感じました。

レジュメに沿った形で、決まったプログラムのように進行していくのが大好きな僕は、何が起っているのか即座には正確につかめず、若干混乱して焦ったりしていました。

混乱して焦っていると、通常より頭も回らないものですね。

途中で、これ以上掘り下げないでほしい、とまぁ。さんに対して若干アグレッシブな言い方で攻撃するかのような発言をしてしまいました。
なぜあのような言い方をしてしまったのか、落ち着いて考えてみました。

理由はいくつもあると思いますが、そのうち思い浮かんだものを挙げると以下のようになります。

1つはワーク前とワーク中のNさんの発言が嬉しかったためです。


そしてもう1つは、これはちょっと複雑です。
これは日本社会にある「暗黙の了解」あるいは「暗黙の社会的教育」とでも表現するとよいのでしょうか……
男たるもの、人前で涙を見せるべきではない、みたいな不文律、みたいなところがあり、自分がその掟を破っていることに対する恥ずかしさ、そして掘り下げられることによって一層歯止めが利かなくなってしまうであろうという懸念、またそのためにワークの進行を遅らせることになって結果として終了時に嫌な思いを味わうということをなんとかして避けたいという気持ち、色々なことがないまぜになって、あのような発言で自らのチャンネルを閉じざるを得なかったのだと思います。

頭が通常通り回っていたら、「いやあ、Nさんが喜んでくれて嬉かってん」のひとことで済むのですがねえ。

でも確かにちょっと……この日の僕自身はいつもより尖がっていたなあ、というのが実感です。

怒りを背中で表現するのは無理か?とまぁ。さんに問われて、無理!と強く言い放ってしまっていましたね。
今思うと、あの言い方もちょっと……激しかった感じです。

勿論ペアを組んだ相手に後ろ頭突きをくらわしたくない、会の安全・安心を守りたい、という思いが強く、それ(後ろ頭突き)以外の動作で「背中で怒りを表す」工夫を僕が試みなかったのも、これもきっと心が閉じこもっている証拠でしょうね。

心と体は繋がっている、と導入の部分でまぁ。さんは言ってたけど、まさにその通り……ですね。
ちょっと肩が凝り気味、普段の運動不足のせいか、ちょっと体が硬い……気持ちも硬直化するものなんだなあ、と思いました。

でも最後に、頭と頭をくっつける動きのときには、なんだか不思議な温かみを覚えました。 普通、人の頭部に手を触れる、あるいは頭髪に手を触れる機会って少ないですよね。

感情表現のワークでは、いくつかの台詞を言いながら相手と合わせた両掌で押し合うものでした。

言の葉、それに込める、あるいは乗せる気持ち、実際に自分がその気持ちを体感できないと、言葉としての重みはその分軽くなるものですね。

嫌な相手ではないのに「いやだ」の台詞で押し合う……全力を出し切れていなかったと思います。

そうだ、が最も言いやすく感じました。
最近でこそその機会は少ないのですが、かつてはですが、普段言いなれた言葉だったからでしょうね、きっと。
色んなかたがたとかの演説や会話などで、「そうだ!」「よし!」「許せへん!」と何度も言っていた、昔の杵柄(あえて『昔取った杵柄』とは言わない)なのかも
知れません。

つまり実際の自分自身の生活経験に即して考えてみて、どうしてもその経験に乏しいものは、言葉に思いを載せることが少し難しいものだなあ、ということに気がつきました。

異を唱えること、詰問すること……あまり日常では僕はやってこなかったのかなあ、と思ったりしています。
あ、やってきてはいるのでしょうけれども、さほど頻繁ではないし、程度も強くはなかった、ということなのかなあ、と思ったりしています。

僕は、想像力に難がある、と世間ではよく言われる発達障害当事者のひとりなんですが、僕自身はそこそこ想像力はあるほうだ、と自負していたりしました。
でもそうでもないんだろうな、と思っています。

Tさんの、言いたいことが言えないでいること、の克服ワーク(かな?)で、まさにこれまで言いたいことをきちんと相手に言えないでいたTさんが、ちょっとづつでも言えるようになった、あるいはその言えるための礎を作った、という意味では、彼女にとっても、そして見ている僕らにとっても、本当に大きな意味のあるワークになりました。

僕自身はどうしていいのか少し混乱していましたが、当初のまぁ。さんからのオーダー通り、そうだ、になりきることを狙いました。

また、ワークが進むに従って、その自分の役割(Tさんのサポータ)の気持ちに次第に没入していくことができましたので、つねにTさんのことを強く肯定することは全く自然な動きでできることでした。
ここでもやはり「そうだ」でした。

色々と書き連ねましたが、大きな気づきと、深まりと、学びに……感謝。

まぁ。さん ありがとうございます。
きついこと言って、ごめんね。

Nさん Tさん Sさんも ありがとうね。

また気づきのワーク、できたらいいですね。
そのときにはよろしくお願いいたします。

ボディワーク

2012年6月28日 ガッキー

<注意>この文章はガッキーさんのブログ記事ですが、ボディワークを通して感じたり、思ったり、体験したことが詳しく書かれた文章で、こちらでも紹介したいと思い、本人承諾の上、転載することにしました。ガッキーさん、ありがとうございます。
http://ameblo.jp/next0213/entry-11288714035.html

今日は、ボディワークショップの日でした。

 

自分の知っているはじめての参加者の方がおられました。発達障害の自助会のスタッフさんでした。けど、最初のウォーミングアップのゲームで、その人も馴染むことができたようで、よかったです。

 

続いてタッチングでした。その人とペアになり、背中、肩、頭とタッチングしていきました。人を観察することの難しさを改めて思いました。

 

けど、人を観察するのはとても重要なことだと思いました。人の身体を機械のように扱う風潮が世間にはながれています。そして、自分自身友達や恋人が欲しいと願う者です。

 

けど、物理的な相手の身体を観察するスキルなくして、どうやって、目に見えない部分を観察しようとするのでしょう。どうして、友達や恋人ができるのでしょう。

 

そんなことを考えながら、取り組んだのがタッチングで、相手の呼吸、揺らした時の揺れ具合を観察していきました。これは、まだまだ訓練が必要なようです。タッチングで、何が目的なのか見えないところがありましたが、とにかく相手を、人を観察する力量を磨くことの重要性はわかりました。

 

そして、タッチングが終わった後の分かち合いで、相方に「怖々しながらやってはる印象を受けました」と率直なフィードバックをうけて自分はまだまだ人が怖いのだなという気づきが得られました。

 

最後は気づきのワークで、今日は自分の悩みであるフラッシュバックのことをテーマに取り上げてもらいました。


実際のフラッシュバックの場面を他の参加者にも協力してもらって、再現して実演して、今の自分ならどう感じるかという視点でやってもらいました。

 

最初はフラッシュバックの起きた当時を思い出して、呆気にとられていましたが、何回もやるうちに、今の自分ならどうするかということを、考えるようになり、自分はそのフラッシュバックに対して、ものが言えるようになりました。

 

自分からああして欲しい、こうして欲しいとワークのレイアウトを提案することができるようになりました。

 

やがて、フラッシュバックそのものに対して、バシッとものが言えるようになりました。その内容は、とても大きな気づきでした。

 

それは、自分の内側からでてきたものというより、他の参加者の方々から教えていただいたものでした。

 

フラッシュバックについて、こういう見方もあったんだ、と自信をもつことにも繋がりました。


今回のボディワークもとても、実りのあるワークでした。

 

参加された皆様、お疲れ様でした。

個人セッション

2012年2月27日 T

<注意>この文章はTさんからのメールなのですが、とても受けた時の気持ちが伝わってくるメールに思えたのでご本人承諾の上、掲載させていただくことにしました。ありがとうございます。

おはよう^^
昨日は、ありがとうございました。
 
(略)
 
あの、カウンセリングを受けて感じたことなんだけど、まぁさんのワークなどは終わってから特に自分の中で変化を感じます。
 
うまく言葉にできないんだけど、とても良い変化です。
 
やっぱ、時間が経つと薄れていくんだけど続けていくことで本質的な変化になっていけたらなと思っています。
 
前回のカウンセリングを受けたあと、自分の体の感覚を初めてなくらい感じてるような感覚になりました。
視覚のみに集中しすぎないで済んでるようにも感じましたね。
 
今のところ、このくらいしか言葉にできないんだけど、以上です。
長くなって、すみません。
 
では、また^^

ボディワーク体験談

2011年7月31日 てき

7月は人数が少なかったため、ボディワークつまりマッサージとフォーカシングという、ワークをやっていただきました。フォーカシングでは、自分の内面の悩みと向き合い、それを受け入れるということをやりました。

 

日常生活でも、応用できて、良いワークでした。

 

自分自身を素直に表現できるようになってきた
気がします。

 

マイナスのストロークで溢れかえってる世の中
プラスのストロークを受ける場をもうけるのが
いかに重要であるかと思いました。

 

その意味で、このボディワークの場はとても良いと思いました。

ありがとうございました。

「気づきと癒し・ボディワークの会」に参加して

2011年7月3日 たま

今回は、人が少なかったのもあるからか知らない人達の中にいながら自分でいてもいい安心感を初めてなくらいに感じることができました。
すごく、嬉しかったです。
ありがとう。

「気づきと癒し・ボディワークの会」に参加して

2011年4月5日 K

日常的な挨拶とかで他人に触れることって普段ないからか、他人が他人に余計に思えるかんじ。ボディワークでは知らない人とのワークで、最初は少し抵抗があっても、触れてくうちに打ち解けていきます。少し強ばっていた気持ちが最初あっても、最後は結構まったりしますね。

 

パソコンに携帯にと毎日欠かせない便利ツールにいっぱい情報を貰って、そればっかりになって頭の一部がでっかくでっかくなってて、まるでその情報が全てみたいな錯覚、でもそれを解き放つかのように、違う脳ミソが反応してる、大げさだけど 脳ミソのバランスを取るのにいいようです!自分にとっては、太鼓を叩くことにも共通するなとも思うけど、ボディワークは他人とのやりとりが大きく絡みますから。

 

ワークを通して気付くことは、あーやっぱりここが苦手だなーとか、色々気にしすぎてんじゃないかと思う自分だって見えます。けど、まーそれもいいかー、としてくれる場ですので、本来の自分を恥ずかしがらずに出せる所として使っていけたらなーと思います。

 

人によっては、あーこー来るか、とか、こーゆーのが好みなんだ、私は逆!とか思うから人って色々って再確認します。こうゆう風に感じるのが大事だと思います。

あとは、やっぱり雑念が気付いたらやって来る。毎日いつでもそうだな。やだなーといったところです。

>ひとこと
人との触れ合いを通してのまったり感を味わっていただけて、また、自分自身に対する気づきや人に対する気づきも受けとめてくださっているようで、嬉しいです。
そして、雑念も必要があってKさんの頭の中に出てきているのかもしれませんね。その声を受けとめていくワークが出来れば、新たな発見があるのかもしれません。今後の気づきを楽しみにしています。byまさし

「気づきと癒し・ボディワークの会」に参加して

2011年4月1日 paix31415

最初の、気のボール投げ、まぁ。さんの様子を見ていたら、なんだか昔懐かしいスライムみたいに思えて、可塑性のある素材と受け止めた人は他にもいたようですね。

他の皆さんのを見ていると、気付きや発見もありました。
自分は頭がカタイなぁ、って。

次は手打ちうどんに!って思っていましたが(笑)

 

最初のアップ(気のボール投げ)では、引き延ばして縄跳びの縄にしたり、あるいは僕が小さくしたのを受けた人が、もっと小さくして見えなくなった、なんて発想は、人の言葉を借りれば、まさに「そう来たか!!」ですよね。簡単には考え付かないですよね。

手打ちうどん(蕎麦)にしたい、ってのは、縄をなう姿にヒントを得たものです。

いつも自分自身では、頭は柔軟に、精神は活発に在りたい、と思っていても、いつの間にか、旧態依然とした発想に凝り固まっているんだな、って思いました。

 

ボディワークそのものは、僕個人は以前ある団体の合宿で経験したものとベースが同じだったので、やりやすかったです。

そのときペアを組んだ人と水曜(今回の水曜ワークショップ)では若干相手の体格が違ったのですが、それよりもむしろ、相手の腰痛のことを気にしていました。
あるいは気にし過ぎだったのかも……若干手加減したところ、どうも相当手加減してしまったようですね。

「もっと強めに」と何度も言ってらしたんで。

それから、昨年のときに比べると、しっかりと時間をとってのワークだったからか、軽く汗ばんでいました。

 

テイクオーバーでは、相手の耳を塞ぐ力加減にあまり自信がありません。
相手の方は何も言いませんでしたが、彼の戻り具合から推察するに、外界の音をほとんど遮断してしまったのかも……知れません。

まぁ。さんなら気付いてると思いますが、最後の方、どうしよう……って、少し焦っていました。

僕だけじゃなく、他の参加者の人も、翌日の都合もあるし……と、やや大袈裟に考えてしまっていました。

ほんの少しだけ手を緩めて、ひそひそと声かけをしてしまっていました。

 

雑念というか、邪念のようなものは、ワーク中に限らず、実は日常の始終、自分の頭の中にまとわりついています。

う~ん、これはどうしたら良いのかは全くわかりません。

>ひとこと
色々と試行錯誤していかれている姿勢に尊敬しています。さて、雑念にも色々あるようですね。不快な感じやそうでない感じ。初めてに近い体験、普段と同じ体験。ぐるぐる思考、体内の組織液。ジャッジすることなく、それと共にいると言う体験も大事な体験なのかもしれません。雑念については、また、そこを入り口にして探索していければ新たな展開が待っているかもしれませんね。今後の展開を楽しみにしています。byまぁ。(まさし)

「気づきと癒し・BWの会」に参加してみて

2009年6月13日 スライム

事前のメールで「しゃべるのが苦手で消極的」と書いておりましたが、あの日の私の態度は「どこが、消極的?!」って感じでした。
でも、日々の日常のなかで、しゃべれなかったり、輪に入っていけなくて、ういてしまったり、緊張して固ったり、不器用な自分です。(信じては、もらえないかもしれない(笑))
あの解放感は、なんなんだろう?
前半のワークが特に好き。願わくば、前半のワークのいろんなバージョンばっかりのを体験したい。(そんなのを、やってるとこがあれば教えて下さい←そんなのを望むのは私だけかな?)


画像